牧師紹介

牧師
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生活歴

1944年、生まれ

1966年、東海大学建築学科土木工学卒業、横浜市役所土木局勤務

1973年、ホィートン大学大学院入学(米国、イリノイ州)、専攻、新約聖書

1975年、宣教学終了(MA)

1976年、デュポンジャパン入社

1993年、上記、退社

1994年、東京神学大学大学院入学

1997年、上記、卒業、日本基督教団洗足教会赴任(伝道師)

2000年、上記、辞任、日本基督教団川越教会赴任(主任担任教師)現在に至る

 

信仰歴

1967年、ビリーグラハム東京国際大会出席、日本基督教団深沢教会出席

1968年、イースター、受洗

1994年~1997年、東京神学大学在学中、日本基督教団自由が丘教会に出席

 

 

関東・信越の牧師たち

2003年3月2日 放送 (FEBC)

 

 証し…「今あるは神の恵み」

撮影:2009年
撮影:2009年

 

 

主の導きの確かさ

 わたしは学校では土木を学びました。アジアの途上国に行ってその国のインフラ整備に少しは貢献できるかもしれないという理由でした。しかし、実際のところは日本から飛び出して広く世界を見たい、そこに住む人々を知りたいと思っていたのです。1ドル360円の時代で、今と違って外国は遠い異国でした。今日では中学や高校の修学旅行でも外国に行くので、外の世界に対するあこがれは若い世代にはピンとこないかもしれません。

 卒業時にある国の大使館から求人広告が来ていたので電話したところ、働くには英語力と数年の実務経験が必要とのことでした。結局、公務員として働くことにしました。

 教会に行き、受洗したのは社会に入って一年余り経ってからでした。そして28歳になって米国に行くという一大決心をしました。初めての海外でした。実際に見るアメリカは考えていたのとはずいぶん違っていました。当時の国力の差は今よりずっと大きかったのです。ミシガン大学で4ヶ月間、英語の集中講座を受けました。キャンパスの広さや建物の大きさ、その豊かさに圧倒されました。食堂は種類が豊富で食べ放題、日本の学食でうどんをすすっていた時には考えられない環境でした。その後、シカゴにある大学の大学院に移りました。入学当時の専攻は新約聖書でした。大学町は清教徒的な雰囲気が漂い、道ですれ違う時、人々は暖かく笑顔で挨拶をしました。親身になって英語を教えてくれる女子学生もいました。なぜこれほどまでに時間を取ってくれるのかと不思議でしたが、嬉しくもありました。大学の職員、教授も本当に親切でした。いろいろな国からの学生やその家族の方々とも親しくなりました。

 3年後に帰国し、外資系の会社に勤めることにしました。その間、同志の方々と途上国の子供たちを援助するNGO(クリスチャン パートナーズ)を立ち上げました。1986年、インドネシア、西カリマンタンにあるスラムを訪問しました。黒く淀んでいる川の上にバラックが建っていました。人々はその川で沐浴していました。電気も水道もない生活がそこにありました。学校に通うことも出来ない子供たちの目は不思議とキラキラと輝いていましたが、老人たちの目は暗く、無表情でした。この子たちの将来を思うと心が痛みました。その地にも教会が建てられ、キリスト者の交わりがありました。

 国と国との貧富の差は今でも大きく、またそれは国の中においても見られます。分かち合うことの大切さを教えられます。

 49歳で会社を辞め、再び神学校に入り、終了後、教会に赴任しました。2000年からこの教会で奉仕しています。その傍ら、前述したNGOの奉仕も続けています。振り返って見るとすべては主の導きであって、その導きの確かなことに気づかされます。